絃上、清水

第十一回 さがみはら能

日 時 平成十九年十月五日(金)午後六時開演
会 場 グリーンホール相模大野大ホール

弱法師(よろほうし)
父・通俊は、子・俊徳丸を勘当しましたが、今は後悔して天王寺に七日間の施行(ほどこし)をしています。
参詣人の中には弱法師とあだ名される乞食坊主も多くいます。その中に盲目の乞食少年が施しを受けていました。
通俊がその少年をよく見ると、勘当した我が子です。
が、人目をはばかり夜に連れて帰る事とします。
一方、俊徳丸は″日想観″(日没を見て浄土を観想する行)をして気分が高揚状態になり『日想観は心眼でみるものだ』と、以前見なれた此辺の景色を目に描きます。
すると盲目と言っても此の辺の風景は手に取るように見えてきましたので「見える〃」「見える〃」と叫ぷのです。
しかし、やはり盲目です。群衆に突き当って笑われたりします。
夜になって、通俊は父である事を明らかにし、俊徳丸を連れて帰るのでした。

絃上(けんじょう)
(前場) 太政大臣・師長は琵琶の名手で、雨乞いの祈りの時に大雨を降らせてから、人々は『雨の大臣』と呼ぶ程でした。
師長はその奥儀を極めようと唐に渡る為、都を出発し須磨浦で一泊します。
その家の老人夫婦は師長に秘曲の演奏を求めましたので演奏を始めました。
ちょうどその時、村雨が降り出しました。すると老夫婦は苫を取出し板屋の屋根を葺いて調子を整えます。
それは超人的な処置でした。驚いた師長は老夫婦に琵琶を渡すと、翁は琵琶、姥は琴を弾くのでした。
その妙音はただただ感涙にむせぶばかりでした。そして、このような名人が近くにおりながら渡唐Lようとした自分を恥じるのでした。
実はこの老夫婦こそ『紘上の主』と言われる村上天皇と梨壺のの女御の仮りの姿でした。
お二人は師長の渡唐を止めようと夢中に現れたのでした。
(後場) 村上天皇が現れ、名器を師長に授け、天皇も秘曲を演奏し舞を舞われます。
そのような事から師長は入唐を思いとどまったのでした。
※舞囃子は後場を舞います。—— 絃上(けんじょう)

清水(しみず)
野中の清水で水を汲んでくるように言いつけます。
これが毎度のことになっては困ると思った太郎冠者は、水も汲まず主人の秘蔵の手桶を清水において帰り、鬼が出たと嘘をつきます。
それを聞いた主人は驚きますが、秘蔵の手桶が惜しく、一人清水に取りに行きます。
太郎冠者は先回りして、鬼の面をつけて待ち伏せ、主人を驚かします。
さらに太郎冠者は恐れおののく主人に太郎冠者を大事にするようにと命じます。
逃げ帰った主人は鬼の声が太郎冠者に似ていることに気づき、不審に思って再度清水へ出かけます。
また先回りする太郎冠者ですが、主人に見破られ追い込まれてしまいます。
鬼に化けた太郎冠者が身近なことで注文をつける様子がおかしさを誘います。鬼の面は『武悪」です。—— 清水(しみず)

船弁慶(ふなべんけい)
(前場) 源義経は兄・源頼朝の疑いを晴らす為、ひとまず都を去る事にし大物の浦に着きました。
静御前は義経との悲しい別れの宴に、主君の不運を歎き、涙ながらの舞を舞うのでした。
(後場) 弁慶は船を出させます。すると天候が急変し波の上には滅んだはずの平家の一門の怨霊が浮かんで見えてきました。
中でも平知盛の霊は長刀を引っ提げ義経に切りかかります。義経は応戦しますが相手は亡霊ですから戦っても仕方有りません。
弁慶が間に入り、数珠をもんで祈ります。祈られた悪霊は、近ずき遠のきを蝶り返しながら、そのうち波間に姿を消すのでした。
※舞囃子は後場を舞います。