木曽
梅若会別会能
日 時 平成二十一年十一月十五日(日)午前十一時開演 (十時開場)
会 場 梅若能楽学院会館
◊ 木曽
平家は既に越前の燧が城(ひうちがしろ)を攻め落とし、十万余騎を以て更に礪波山(となみやま)へ押寄せようとする。 木曽義仲(ツレ)は身方の軍勢が僅か五万余騎なので、計略を以てこれに当り多くの白旗を黒坂の上に押し立てて敵の目をくらまし、夜を待ち一度に敵を倶利伽羅が谷に落とそうした。 軍を七手に分け、自分は精兵一万余騎を従えて埴生に陣を敷き、ふと北方を見ると、夏山の茂みに埴生の八幡宮があるのに気付いた。
義仲は、何とはなしにここに陣をとったことを喜び、覚明(シテ) に願書をしたためさせた。
文の達者な太夫坊覚明は簸の中から小硯と料紙を取り出してさらさらと書き終わり、これを読み上げた(願書)。それは八幡の神威を讃え、平相国の暴虐を述べ、義仲の忠誠心を披涯したものであった。
義仲はこれに上差を添えて内陣に納めさせた。門出を祝う土民の酒肴で酒宴となり、命によって覚明は舞を奏する。
(男舞)宴もなかばに不思議なことに八幡宮の方から山鳩が翼を並べて飛来した。それは神霊がかの願書を納受されたしるしと思われる。
義仲以下は伏し拝んでいよいよ加護を祈り、こうしてただ一戦に平家を倶利伽羅が谷に追い落したのである。
◊ 卒都婆小町
高野山の僧(ワキ)が従僧(ワキツレ)をつれて都へ上る途中、阿倍野の辺で朽木の卒塔婆に腰をかけて休む乞食の老女(シテ)があった。
僧は卒都婆は仏体そのものであるので他の場所で休むようにさとすが、老女は僧のいうことを聞かない。
のみならず、禅道の極意を説いて僧を論破してしまい、僧達は驚き平伏する。
僧がその名を問うと、それは美貌と才能をうたわれ、一世を誇り高く過したあの有名な小野の小町のなれの果てであった。
僧が老女と語り合っていると、突然に老女には慧物がして狂乱した。
それは昔小町を恋い慕って百夜通いをしたが、九十九夜で力尽きて死んだ、深草少将の怨霊がついたのであった。
その昔の少将の様子を真似て(物着)日数を数えながら通った執心の様を見せた小町は正気にかえると、迷いを捨て後世を願い静かに合掌する。
◊ 道成寺
紀州日高郡の道成寺では、長らく廃絶していた撞鐘を再興し、今日その供養が行われる。
住僧(ワキ)はある事情から供養の庭を女人禁制にしたが、一人の白拍子(シテ)が来て精一杯の舞を見せるというので、下働きの能力(アイ)はひそかに拝観を許した。
白拍子は美しい舞(乱拍子)を舞いつつ段々と鐘楼に近づく。
しかも人々が悦惚としているすきに、凄まじい勢いで「恨めしい」と叫んだ女は鐘のふちに手をかけるとその内へと姿を消し、鐘を轟音をあげて落ちた(中入)。
こういうことにならないように、女人を禁制にしたのだ。住僧の話(語り)によれば、昔この所に、娘をもつ真子の荘司という者があった。
娘は父の冗談を真にうけて、荘司の家を宿坊として年詣でしていた山伏を自分の夫と思い定めた。
それを知った山伏は驚いてこの寺へと逃げてきたので鐘の内へ匿したが、女はそのあとを追い執念の毒蛇となって日高川を泳ぎ越えてこの寺まで来ると、鐘にまとわりついて山伏をとり殺そうとしたのだそうだ。
今日の白拍子は、その時の女の執念らしい。
それで僧達が力を合わせて一心に祈ると鐘はもとのように上がったが、中には蛇体(後シテ)がいた。蛇体は僧に立ち向かったけれども、祈りにまけてついに日高川へと飛び入る。